ピースメッセンジャーとして国連へ
皆が知るべきことを正しく伝えたい
私は本を読むだけでなく、文章を書くのも好きな子どもだったので、将来の夢は作家になることでした。小学校では自作の物語を友人に無理矢理読ませていましたね。その後、12歳のときに村上龍さんの『13歳のハローワーク』を読み、そこで初めて「本を世の中に出すには編集者が必要なんだ」と知りました。編集者の仕事を自分なりに調べたところ、素晴らしい物語を生み出す作家を支えたり、言葉を通して世の中を面白くしたりする職業だと知り、「私がやりたい仕事はこれだ!」とビビッときたんです。そう自覚して以来、将来の夢は一貫して「編集者」でした。
もうひとつ、編集者を目指すきっかけとなった出来事があります。中学3年生の時、国語の先生の勧めで参加した、横浜市が主催する「よこはま子ども国際平和スピーチコンテスト」で市長賞を受賞し、ニューヨークの国連本部へ派遣していただいたことです。外国人の母のもとに生まれたという自分の出自に関して、いじめというほどのことはなかったものの、国語の成績がよいと「半分外国語なのにすごいね」などと言われることがあり、気持ちのどこかに「ざらっ」とする感覚が募っていました。そこで私は、『母の国、父の国、私の国』というタイトルでスピーチしたのです。
受賞後、「子どもピースメッセンジャー」として1年間活動し、国際平和について勉強する機会をいただきました。私はそれまでにも、読書を通じて戦争や他国の知識を頭に入れていたつもりでした。しかし、いろんな場に足を運び、当事者や国際機関で働く人の話を聞くことを通じて、自分には見えていない地球の裏側で、知らないことが山ほど起こっていることに気づきました。
皆が知るべきことはたくさんあるのに、それが伝わっていない。伝え方が適切でないために皆が受け取れていない情報が、報道に限らずたくさんある。私はそう感じて、「必要な情報を、必要な人に届けるサポートを仕事にしたい」という気持ちが湧いてきたのです。
また国連派遣の際には、現地の学生と英語で交流する機会があり、そこで日本の文化や歴史についてよく尋ねられました。でもそのときに、私はきちんと答えられませんでした。英語でやりとりはできても、中身がなければ、どうにもならないんです。自分はいろいろな本を読んでいるという自負があったのですが、まだまだ自国の文学や歴史のことを全然知らないと痛感し、大学は古典の研究で定評のある早稲田大学の教育学部国語国文学科に進みました。
就職にあたっては新聞記者も考えましたが、文芸、ノンフィクション、雑誌など様々なジャンルに関心があったため、手広く担当できる可能性がある総合出版社を中心に就職活動をしました。そして新潮社に入社し、編集者として歩み始めることになり、今に至っています。
どんな場でも「自分が尽くせるベスト」を
追い求めて最適解を絞り出したい

編集者に必要なのは、取材対象者と読者の間で言葉を「翻訳する力」です。取材対象者の言葉や態度から読み取ったメッセージのエッセンスを、いかに凝縮して、わかりやすい言葉に置き換えて発信できるか。そのためには作家やライターが書いた文章に対して、大事な部分が伝わりやすいように文章の流れを交通整理する力も必要です。まさに「縮約」の学習で培った力が役立っています。
それに加えて、編集者には目の前の人が何を言いたいのかをつかむ「想像力」も求められます。例えば、言葉では「イエス」といっていても、実は怒っている、といった温度感を、先入観なしでしっかりキャッチすること。あるいは、自分では完成したと思った原稿であっても、読者が本当に原稿に込められたメッセージをつかめるのか、客観的な視点に立ってとことん想像すること。年齢を重ねて経験や知識が増えてくると、この大事な「想像力」から遠ざかってしまい、奢りが出てきて、わかったつもりの思い込みで相手の言葉を解釈してしまいがちになります。「自分の常識は他者の常識ではないし、正解でもない」ということにつねに立ち返って、自問自答しながら進めていくことがとても大事です。
わかりやすいものが支持される昨今ですが、メディアの仕事では「わからないからこそ、考えながら、勉強しながら対象に向き合う」というタフな姿勢が重要です。自分の固定観念でものごとを捉えずに、新しい世界を知ったときのひらめきやワクワクする感覚、理解しようというモチベーションをもち続けたいと思っています。
就職するときには、自分が2回も転職するとは思ってもみませんでしたが、私のキャリア観のベースにあるのは、「ものをつくる人たちの価値を正しく届けられる社会にする」ということ。これは、これまで働いた3社に共通していることでもあります。
3つの会社を経験して思うのは、まったく違う業界に転職したとしても、前職の経験は決して無駄にはならないということです。私は、自分がもっている限られた知識や経験をどうしたら新しい仕事に役立てられるか、必死で考えながら手探りで進んできました。畑違いの場所であればあるほど、以前の経験がそこでは希少性を増し、価値をもちます。どんな場所にいても、その場所で自分が尽くせるベストを追い求めて、もっているものの中から最適解を絞り出すという姿勢で、日々仕事に臨んでいます。
私が転職した頃と比べ、昨今では転職に関する意識も状況も変わってきていると思いますが、新しい仕事に臨むときには、「難しそう……」「無理では?」と臆さず、まずは動いてみるといいと思います。その動き方が的外れであったとしても、見ているだけよりはいいはずです。動き出せば周囲から「それは違うのでは?」「ここが近道かも……」と何かしら反応や助けが得られて、前進するヒントになります。何より、自分の原動力となる「熱」がどこにあるかを自覚することが大事ですね。
「学び」は生涯をかけて探求していくもの
横ではなく、前を見て進んでいこう
子育てをしていると、「学びたい」というのは人間の本能なんだな、と実感します。親としてはつい「この絵本を読ませたい」など与えることに必死になってしまいますが、子どもは放っておいても自分の興味ある本を手にとり、知らないうちに読んでいたりします。親や他人に言われたことをやるよりも、親に「もうやめなさい」と言われてもやめられないようなことのほうが、よく身について、伸びるのでしょう。親は子ども自身の学びの本能を邪魔しないで、その子がやりたいことを最後までやり遂げられるように「見守る力」と「待つ度量」が必要なのかなと思います。
AIの台頭でますます社会全体の速度が増す最近では、速さや新しさ、「コスパ」「タイパ」を競う風潮があります。しかし、私がお子さんたちに伝えたいのは、隣の人と自分を比べるのではなく、前を見て、自分が進みたい方向を見定めていきましょうということです。
学びは誰かと比較するものではなく、自分の生涯をかけて自分自身で探求していくものです。自分は何が好きで、何を目標にしたいのか、世界とどう関わっていきたいのか。そうした「意志」はAIにはなく、人間だけがもつものです。その根源的な欲求を自覚して、自分が興味をもてるものを大事にして、真摯に取り組んでいく。その先に、自分と社会の両方を幸せにできるような、価値ある仕事との出合いがあるはずです。
私は子育てをするようになってから、仕事にかけられる時間は減りましたが、子育てをしないと気づかなかったことがたくさんあります。そして、子どもを預けて働くのならば、仕事を通して子どもたちの役に立つことをしよう、社会や子どもの未来にポジティブな影響を与えるような仕事をしようと考えるようになりました。苦労は多くても、仕事に対するモチベーションは、子どもを産む前より上がっています。
まわりの友人を見ていてもそうなのですが、子どもを持つと、関心が自分の人生から広がって、社会の仕組みや現状にも目が向くようになります。そして社会の見え方や世界の捉え方も変わっていくので、その視点を仕事に活かし、多様な人にとってのよりよい社会をつくる役に立ちたいです。
その難しさにくじけそうになるときもありますが、これまで諦めずに進んできた先人たちがいたからこそ、私が仕事と育児を両立できる今の環境もあるのだと思います。私も先人たちに倣って、困ったときには「どうしたら解決できるだろうか」とポジティブに考えを巡らせることができる自分でありたいですし、皆がそうなれば、誰にとってもいい社会になるのではないかと思います。
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前編のインタビューから -「価値ある言葉」を届ける編集の仕事 |









